稲葉さんの歌詞とともに、”幸せ”を考えてみる。

稲葉さんの歌詞の世界

私、ぴかり(夫)が、長きに渡りB’zを好きでいる理由の一つは、

 

”稲葉さんの歌詞の世界観にとても共感できる”

ということです。

 

稲葉さんの歌詞は、100パーセント幸せでハッピーなものって少ないんですよね。

 

ということで、今回は、少し重いテーマ、”幸せ”について、

稲葉さんの歌詞とともに考えてみましょう。

 

「幸せとは?」

 

この問いの答えというのは

人生の答えを見つけるのに

等しいのではないでしょうか。

 

それほどに難しく

また、人によって答えが

違うものかもしれません。

 

幸せですか?

 

月曜日の街で聞かれた

今あなたは幸せですか

歩きながら 笑って答えた

いいえ 別に

「いま幸せですか?」と聞かれたら

みなさんはどう答えるんでしょうか?

 

私の答えは、決まっていますが、

発表は最後にしておこうと思います。

 

 

 

幸せになる方法?

 

また、この「すべての幸せをオアズケに」には

こんな歌詞もあります。

幸せじゃなきゃ不幸だなんて

こうなりゃ いっそ みんなで笑える日がくるまで

すべての幸せを オアズケに

 

この曲のサビですね。

みんな幸せをオアズケにして

一緒に幸せになってみませんか?

と、いう稲葉さんからの提案です。

 

また、こんな歌詞もあります。

 

幸福は奪いあう一個の甘いケーキ

そしてこのからくりにはまったやつら

全員同時の幸せは不可能

不幸なんてものをなくすために

ここはおもいきって皆さん幸福を捨てて下さい

すべてを支配するのはコ・コ・ロ

 

 

どう思いますか?

 

 

幸福とは奪い合うものなのでしょうか?

 

 

幸福になる人がいたら、不幸になる人がいるのでしょうか。

 

稲:幸せとか気持ちが安らかになることを目指して、
そういう欲望の元に進んでいくんだけど、
その途中で気持ちがやっぱり不幸になってしまうとか(笑)
でもそれってほら、心が決めることだから。
幸せを目指すと不幸になるみたいなことってたまにあるじゃない。
-:はい。
稲:そういう場合は、最初に目指す幸せが、
多分どこか少し違うんだと思うんだけど。
(中略)
心の平穏とか、それを求めて僕も含めてみんなもがいているんだな、
というような、そういうところから出来た言葉がいっぱいあるなと思って。
be with!(vol.63)」

 

幸せは気持ち次第?

 

でもね だれか言っていたけど

何でも 気のもちようじゃないの

 

 

繰り返しなんかぜんぜんない暮らしをしてるはずだぜ ハニー

なのに 今日もあの娘 喫茶店で「毎日同じよ」とボヤきまくり

 

周りからは幸せに見えても 本人は幸せでないことって

結構あると思うんです。

 

自分が思い描いている状態でない場合や

そもそも、目指しているところが高い場合などですね。

 

あまり欲がない人は、不幸と感じることも

少ないんじゃないかと思います。

それはやっぱり、「気のもちよう」で

変わってくるということではないでしょうか。

 

好きな人次第?

 

ハズムセカイ ハズムココロ

キミがいるだけで ボクの世界は変わるよ

 

今夜だけでもお願い

有頂天にならせて

君といる時くらいは

勇気に満たされたい

 

好きな人が自分の側にいてくれたら

幸せですよね?

 

誰だってそうだと思います。

 

でも有頂天には以下のような歌詞もあります。

幸せはいつ来るの

それとももう幸せなの

涙こぼれ落ちるまで

誰もそれに気づかない

 

そうなんですよね。

 

好きな人もそうですが、自分の周りには

大切な人がたくさんいるんです。

 

家族や友達、もしかしたら尊敬できる先生かもしれません。

 

大切な人って

何故か、いなくならないと

分からないものなんですよね。

 

「幸せですか?」に対する私の答え

 

ここまで、”幸せ”について

稲葉さんの歌詞とともに考えてきたわけですが、

私がもし、そのように言われたら、

 

「幸せです。」

と答えます。

 

それも、即答というくらいの速さで答えられるんじゃないかなと思います。

 

なぜ、そう答えられるのか。

 

 

それは、私が「妥協」とか「諦める」という言葉を

大切にしている。

 

これが大きいんじゃないかと思っています。

 

「妥協」や「諦める」というのは

一般的に、マイナスイメージが強い言葉ですね。

 

ただ、「妥協」の意味を調べてみると、

「対立した事柄について、双方が譲り合って一致点を見いだし、おだやかに解決すること」

(デジタル大辞泉より)

とあり、そんなにマイナスイメージの言葉でもないんですよね。

 

これは、「妥協」、「諦める」という言葉自体よりも、

その言葉を使うときの背景が、マイナスイメージを作り出している原因だと思うんです。

 

「妥協」や「諦める」

これらの言葉を使うときって、

「これから手に入れるモノ」、「これから手に入れたいモノ」

ばかりに焦点が当たっている場合が多いんです。

 

 

それにより、皮肉にも、「手に入れたい」と思えば思うほど、

逆に、現実に対する欠乏感が増えていくんです。

 

「手に入れたい」と思うほど、「手に入っていない現実」が色濃くなっていくんです。

 

 

私の場合は、大学生の3年生ぐらいの時でしょうか。

そのことになんとなく気が付いて、

手に入れているモノ、既に手の中にあるものに目を向けはじめてみたんです。

すると、その時から幸せだと感じることが多くなりました。

 

稲葉さんの歌詞をずっと聞いていて、

刷り込まれて、刷り込まれて、ようやく現実に落とし込んで認識できたといった感じでしょうか。

 

 

 

ぴかり(夫)的な「幸せとは?」の答えは

 

「既に誰もが幸せである。

ただし、そのことに気が付きさえすれば。」

って感じですかね。

 

 

 

では、また。


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